中卒無職日記

中卒無職が気分次第で適当に書き連ねた残骸を投棄するための場所です。

発達障害者の就活は無間地獄である。

近況

 

先程、超ド本命の企業の最終面接を終えました。結果はまだわかりませんが恐らく落ちたと思います。正直苦しいです。今年は春先から同じ企業の系列で2週間最終選考を兼ねた実習に参加したものの、新卒歓迎として声をかけられたにもかかわらず職歴を理由に落とされるという理不尽を味わうなど、就留を決意した段階ではある程度普通の就活をするつもりが気づけばtier0障がい者雇用を二個しか受けていないという異常な就活に早変わりしていました。これは仕事内容やカルチャー、待遇などに目がくらんで一点張りした自分の戦略ミスではあるのですが、結果として何一つ成功しなかったいま、私の目の前に残った選択肢は手取り年収150万円の障がい者雇用への応募だけです。

 

発達障害者の就活はなぜ無間地獄なのか。

 

いま、目の前に残された選択肢を見て改めて感じるのは、発達障害者の就活は無間地獄であるということです。まず、発達障害者は就活におけるエピソード作りが難しくなりがちです。活発なADHDの方は別かと思いますが、ASDに取っては地獄です。どうしても集団での成功体験が少なくなりがちなため、話すエピソードに苦労してしまうからです。仮に、エピソードがあった場合でも面接官の共感を誘うようなエピソードに昇華させるためには自身の認知のゆがみの修正をしながら相手の共感しそうなポイント、深掘りしてきそうなポイントを予想して、ロジックを作っていくプロセスが就活においては必須であり、その過程では、自身の特性面での苦手と向き合うことが必要になって来ます。これらの苦労は発達障害者にとっては多大な負担となります。

 

この過程を乗り越えたとしても次に面接対策が問題となってきます。まず、言葉遣い、態度、身だしなみといった項目を自分基準から社会の基準に合わせなければなりません。こだわりや特性上の困難があってもできる限り社会に合わせなければ、面接での評価という土俵にさえ立てません。

 

では土俵に立てればどうにかなるのでしょうか?そんなことはありません。奇跡的にマッチングするのであれば別ですが、基本的にそんな運がいい人は理系修士以上の人位でしょう。私のような貧弱文系学部生は、本当にすべてがうまくいきませんでした。ESは通過するものの一次面接で落ちまくるのです。しかもその理由が各企業によって余りにも隔たりがあり、どう対策すればいいかわからないからお手上げです。

実際にある企業の人事に「学生っぽくなさが逆に評価を下げているのかもしれない、フレッシュさが足りない」と言われたのに、別の企業では「元気すぎる、もっと落ち着きをもって」と言われたことがあり、自身としては特に行動を変えていないのに評価が180°異なるために結果として何を変えればいいのか、どう意識すればいいのかわからないという袋小路状態に陥ってしまいました

こういった際、社会問題や政治課題における意見の対立であれば統計や論文などを漁ることで一定の解決を見ますが、就活という内定までの基準が企業や面接官、当日の体調などコントロールできない不確定な要素に左右されるゲームでは、一回一回の面接ごとに情報源も質も変わってしまうために最適解も異なり、他の機会に活かそうにも、どこまで活かすべきかわからないというような状況が生まれます。

この点は健常者にもある程度共通した構造的な問題ではあるのですが、彼らはその場の雰囲気や、相手の表情といった私達が汲み取ることが苦手な情報から、面接内で試行錯誤しながら、適切に経験知を生かしてその場に対処することができます。

対して我々は、そういった非言語情報を汲み取れないが故に、面接中に試行錯誤できず、結果として面接前に工夫するポイントを準備し、出てきた合否の結果から演繹的に判断することでしか、対処が成功であったか失敗であったかを理解することができないのです。

したがって、特性的に非言語情報からの判断が苦手なことによって、試行錯誤の回数が少なくなってしまうために、一回の面接で得られる経験値が健常者よりも少ない、仮にマッチングの余地があったとしても面接中に修正できずに機会を逃しやすいといった問題が生じやすいのです。

 

終わりに

 

こうなると、如何にたくさんの企業を受けて場慣れするということが発達障害者にとって苦しいことかわかると思います。普通の人がいとも簡単に話せることをなんとかひり出し、社会になんとか表面上だけでも適合し、さあ頑張るぞと意気込んだのもつかの間、普通の人が面接一回で得られる経験値を我々は何十回、何百回と繰り返すことでしか得ることもできなければ、普通の人であれば掴める余地のあるチャンスをつかむこともできないのです。

これを無間地獄と呼ばずになんと言えばいいのか僕にはわかりません。ただひたすら苦手なゲームを著しく不利な条件でやらされているのと心理的には何も変わりません。僕の場合、この問題に更に高校中退や就留といったデバフが掛かっているため、就活は僕にとってはあり得ないほどクソゲーです。正直今すぐ大学進学を決意した頃に戻って、辞めろ!と言ってやりたい。このクソゲーをやるために2000万円を親に払ってもらったはずなのに結果が一切出なかったいま、目の前に残る年収手取り150万円の障がい者雇用の求人票を見ていると、この五年間に何の意味があったのだろうかとつい考え込んでしまいます。